2111年01月01日
2010年08月06日
加納朋子『七人の敵がいる』
応援歌話つながりで、読んだ順番は違いますが、こちらも。
「痛快PTAエンターテイメント」(帯)。
PTA、自治会、義母義家族と、キャリア女性の育児の前にはだかる敵、敵、敵。主人公が「竹を割ったような」というか「竹を割るのにも日本刀なので切れすぎ!切れすぎ!」みたいな性格なので、苦手に感じる人もいるかもしれませんが、まあその辺も読み所です。
そして、敵の一つ「夫の無理解」は、悪い人ではない、むしろ育児にも協力的である、だけに、嘆息ものなのですが、この辺「わかる!」なおくさまがたも多いのでは。
実際、育児にまつわるエトセトラは、「働く普通の会社員」にはこなせないようになっている。専業主婦という再生産労働専用の人口を抱えることができた経済の状態はすでに崩壊しているのに、主婦の労働力に依存する形で成立した地域社会はまだ新しい形を見つけられていない。
こうした事態の抜本的解決としては、やっぱり「働き方」が変わるしかないと思うんですが、そんな未来のことを語る前に、今できることもあるかもしれない。
そんな風に今それらに関わっている人々が考えてくれるんじゃないかなあ、と思わせてくれる本でした。
………でも、「うわあ、やっぱり子供産みたくない……」と思っちゃう人もいるかも……。苦笑。
「痛快PTAエンターテイメント」(帯)。
PTA、自治会、義母義家族と、キャリア女性の育児の前にはだかる敵、敵、敵。主人公が「竹を割ったような」というか「竹を割るのにも日本刀なので切れすぎ!切れすぎ!」みたいな性格なので、苦手に感じる人もいるかもしれませんが、まあその辺も読み所です。
そして、敵の一つ「夫の無理解」は、悪い人ではない、むしろ育児にも協力的である、だけに、嘆息ものなのですが、この辺「わかる!」なおくさまがたも多いのでは。
実際、育児にまつわるエトセトラは、「働く普通の会社員」にはこなせないようになっている。専業主婦という再生産労働専用の人口を抱えることができた経済の状態はすでに崩壊しているのに、主婦の労働力に依存する形で成立した地域社会はまだ新しい形を見つけられていない。
こうした事態の抜本的解決としては、やっぱり「働き方」が変わるしかないと思うんですが、そんな未来のことを語る前に、今できることもあるかもしれない。
そんな風に今それらに関わっている人々が考えてくれるんじゃないかなあ、と思わせてくれる本でした。
………でも、「うわあ、やっぱり子供産みたくない……」と思っちゃう人もいるかも……。苦笑。
書誌情報;加納朋子『七人の敵がいる』集英社、2010
2010年08月05日
柴田よしき『やってられない月曜日』
はづきさんがログインしました。
というネタをやりたかったんですが、既に5日すぎてます。
この本も出張本なんですが、出張行ったのは、海の日だったような… そうだ、だからすごく公共交通機関がすいていたような…
だから座ってゆっくり読めたような… ゆえに、到着その日に読み終わっちゃって、しかももう一冊持ってくるのを忘れていて卒倒しかけたような。
何度か書いた気がしますが、応援歌的な小説は大好きです。坂の上の雲とかになると、自分自身は応援されないんで、「ああ、こういうふうに経済成長期のおじさんたちは応援されたんだなあ」という第三者的な見方になりますが、それはそれで面白い。もっとも、そういう側面が作品に影響しているところはちゃんと読者の側で勘案しないといけないんじゃないかなと思いますけども(歴史小説は現代小説であり事実ではない、という意味で)。
この本は、『ワーキングガール・ウォーズ』の姉妹編、あの主人公のいとこのお話です。あちらが「キャリア女性」のお話だったのに対して、「キャリアとはいえない、でも腰掛けOLではない、ふつーの働く女の子」の話。まあ、「仕事に生きる」ではない分メリハリが必要なので「ふつーじゃない」要素も入ってますが。
不況と結婚高年齢化の中で、こういう「多分こうやって一生働くだろうな」という女性は増えていて、だからといってポストが用意されているでもない現状、どうしても「管理職にならないまま働き続ける」人、特に女性は多くなっていくと思います。自分の趣味のための時間を確保しつつ、給料泥棒とは言われないくらいにきっちりとは働く、……でもこのままずっとこうやって生きていくんだろうか。という沼に沈むような気持ちは、恋愛に興味の薄い女の子には経験のあることではないかなと思います。
『ワーキングガール・ウォーズ』と同様こちらもあまり簡単に「現実と和解」してもらうとリアリティがないところですけれども、いい感じに折り合いをつけてもらったな、と思いました。可能性が開かれていて、読後感がさわやかです。
というネタをやりたかったんですが、既に5日すぎてます。
この本も出張本なんですが、出張行ったのは、海の日だったような… そうだ、だからすごく公共交通機関がすいていたような…
だから座ってゆっくり読めたような… ゆえに、到着その日に読み終わっちゃって、しかももう一冊持ってくるのを忘れていて卒倒しかけたような。
何度か書いた気がしますが、応援歌的な小説は大好きです。坂の上の雲とかになると、自分自身は応援されないんで、「ああ、こういうふうに経済成長期のおじさんたちは応援されたんだなあ」という第三者的な見方になりますが、それはそれで面白い。もっとも、そういう側面が作品に影響しているところはちゃんと読者の側で勘案しないといけないんじゃないかなと思いますけども(歴史小説は現代小説であり事実ではない、という意味で)。
この本は、『ワーキングガール・ウォーズ』の姉妹編、あの主人公のいとこのお話です。あちらが「キャリア女性」のお話だったのに対して、「キャリアとはいえない、でも腰掛けOLではない、ふつーの働く女の子」の話。まあ、「仕事に生きる」ではない分メリハリが必要なので「ふつーじゃない」要素も入ってますが。
不況と結婚高年齢化の中で、こういう「多分こうやって一生働くだろうな」という女性は増えていて、だからといってポストが用意されているでもない現状、どうしても「管理職にならないまま働き続ける」人、特に女性は多くなっていくと思います。自分の趣味のための時間を確保しつつ、給料泥棒とは言われないくらいにきっちりとは働く、……でもこのままずっとこうやって生きていくんだろうか。という沼に沈むような気持ちは、恋愛に興味の薄い女の子には経験のあることではないかなと思います。
『ワーキングガール・ウォーズ』と同様こちらもあまり簡単に「現実と和解」してもらうとリアリティがないところですけれども、いい感じに折り合いをつけてもらったな、と思いました。可能性が開かれていて、読後感がさわやかです。
書誌情報;柴田よしき『やってられない月曜日』新潮文庫、2010
2010年07月17日
ホーキング青山『差別をしよう!』
こんにちは!!
お久しぶり過ぎてどんなテンションで書いていけばいいかよく分からないのでとりあえず元気に言ってみました!
………すみません、ほんと………
年度末〜年度当初は尋常ではなく忙しくて、「女として終わってる」じゃなくて「人間として終わってる」状態になってました。いろんな人にご迷惑もおかけして、それが負担になって次のご迷惑を引き出してしまうという悪循環状態。信頼って失うのは一瞬だけど再構築は大変ですよね…(しみじみ)ともかく生活立て直し中です。これが本当のリ・ストラクチュアリング。
じゃあずっとネット離れしてたのかというとそうではなくて、ツイッターやってました。これはこういう公開のではなくて趣味の方でなのでこっそりと別名で、今もやってます。しかし、ツイッターというツールは、とても「瞬時性」が強く、「知性<<<<<<感性」のツールなのだなあと思います。「ハウル」見ながら「宮崎駿はほんとおかっぱが好きだね」とか呟く(何人も同時に書いてて笑いました)のには向いているのですが、政治向きのことに使われることにはものすごい違和感を感じます。事実かどうかが分からない話が一瞬で拡散していくし、「同調圧力」もある世界なので、異議申し立てがしにくい。
(一個だけ書いちゃうと、日本の文教予算の低さはここ二年の話ではないので、はやぶさと事業仕分けと選挙を同列で語らないでほしいのであります……私も研究費関係の事業仕分けは「えー!」と思ってますが、その前に大学法人化に文句をつけたいのであります……高等教育を塾のような「対価に見合う教育サービス」という論理でやるべきじゃないと思うのです…)
話を戻しまして、生活立て直しの一環で、「考えてものを言う」リハビリをかねて、またぽつぽつ書いていこうと思います。
ということで、本書。
今の今まで勘違いしていましたが、『寄り道パン!セ』シリーズではなくて、『14歳の世渡り術』シリーズです。何度も書いてますが、こういう、大人が子供に真面目に向き合った文章って読むの好きです。
ホーキング青山さんは、お笑いの芸を見たことがない、文章もインタビューで読んだきりという方ですが、ずっと意識はしていました。その記事を読んだときも思ったのですが、「この人の発言には重みと力があると思う、けれども私の意見と同じかと言われれば違う」。
奥付の著者紹介から引用すると「1973年東京都大田区生まれ。先天性多発性関節拘縮症のため、生まれたときから両手両足が使えない。ビートたけしに憧れ、94年に”史上初めての身体障害者のお笑い芸人”としてデビュー」、という方です。
前述のインタビュー記事で彼が書いていたのは、「障害者が犯罪を犯した時に、『障害者だから』と減刑しないのが本当の平等」、というようなことでした。それは分かる。けれども、私が言うなら、「障害者の家族が介護疲れでその障害者を殺したときに、減刑しないのが本当の平等」となる気がします。もちろんそれは、「介護者を殺人者にしてしまう世の中であること」そのものが社会の責任だから、ということです(介護は、本当に、本当に大変ですから)。
この本では、変な平等主義のせいで養護学校の中で行われている「変なこと」がたくさん書いてあります。私は「ディサビリティ・スポーツ」の変形ルールに違和感は感じないのですが、やはり「電動車いす同士の50m走(=どれも法定速度までしか出ない)」には「する意味があるのか」と突っ込みを入れたくなる。
そうしたことを踏まえて、「自分と他人を比較し、他人より勝っている部分を見つけ大いに優越感に浸」り、「自信」をつけること、という意味においての「差別」をしよう、と筆者は書きます。そうした心の動きは誰だって、どんな相手とでもするのが自然な心の動きなのであって、「差別はいけない」という「平等」絶対主義は、若者から自信を失わせ、また、社会の中の自分という相対的な把握能力を失わせていると書いています。
それは、分かる。
けれども、そういうのが「平等」でそういうのが「差別」なんだろうか?とも思います。
私の目には、筆者が批判している養護学校の先生のもの言い、「福祉関係者」のものいいが、それこそ「差別」に見えます。
本書の結びは「『差別』を無くすために、『差別』をしよう」です。つまり、書名そのものが敢えてする逆説となっています。本を全部読んだ14歳には、その意図は通じるかもしれない。けれども、「敢えてする」部分の手法について、私は馴染まないところがある。
多分、この方の発言について、私はずっとこういう「違和感を持っての支持」をしていくんだろうなと思います。
何といっても、上記養護学校のような障害にまつわる話は舞台のネタにしているそうなのですが、「……笑えない……」という話が多いです。というか、ほんとに介護の現場は深刻ですね……。
書誌情報;
ホーキング青山『差別をしよう!』河出書房新社、2009
お久しぶり過ぎてどんなテンションで書いていけばいいかよく分からないのでとりあえず元気に言ってみました!
………すみません、ほんと………
年度末〜年度当初は尋常ではなく忙しくて、「女として終わってる」じゃなくて「人間として終わってる」状態になってました。いろんな人にご迷惑もおかけして、それが負担になって次のご迷惑を引き出してしまうという悪循環状態。信頼って失うのは一瞬だけど再構築は大変ですよね…(しみじみ)ともかく生活立て直し中です。これが本当のリ・ストラクチュアリング。
じゃあずっとネット離れしてたのかというとそうではなくて、ツイッターやってました。これはこういう公開のではなくて趣味の方でなのでこっそりと別名で、今もやってます。しかし、ツイッターというツールは、とても「瞬時性」が強く、「知性<<<<<<感性」のツールなのだなあと思います。「ハウル」見ながら「宮崎駿はほんとおかっぱが好きだね」とか呟く(何人も同時に書いてて笑いました)のには向いているのですが、政治向きのことに使われることにはものすごい違和感を感じます。事実かどうかが分からない話が一瞬で拡散していくし、「同調圧力」もある世界なので、異議申し立てがしにくい。
(一個だけ書いちゃうと、日本の文教予算の低さはここ二年の話ではないので、はやぶさと事業仕分けと選挙を同列で語らないでほしいのであります……私も研究費関係の事業仕分けは「えー!」と思ってますが、その前に大学法人化に文句をつけたいのであります……高等教育を塾のような「対価に見合う教育サービス」という論理でやるべきじゃないと思うのです…)
話を戻しまして、生活立て直しの一環で、「考えてものを言う」リハビリをかねて、またぽつぽつ書いていこうと思います。
ということで、本書。
今の今まで勘違いしていましたが、『寄り道パン!セ』シリーズではなくて、『14歳の世渡り術』シリーズです。何度も書いてますが、こういう、大人が子供に真面目に向き合った文章って読むの好きです。
ホーキング青山さんは、お笑いの芸を見たことがない、文章もインタビューで読んだきりという方ですが、ずっと意識はしていました。その記事を読んだときも思ったのですが、「この人の発言には重みと力があると思う、けれども私の意見と同じかと言われれば違う」。
奥付の著者紹介から引用すると「1973年東京都大田区生まれ。先天性多発性関節拘縮症のため、生まれたときから両手両足が使えない。ビートたけしに憧れ、94年に”史上初めての身体障害者のお笑い芸人”としてデビュー」、という方です。
前述のインタビュー記事で彼が書いていたのは、「障害者が犯罪を犯した時に、『障害者だから』と減刑しないのが本当の平等」、というようなことでした。それは分かる。けれども、私が言うなら、「障害者の家族が介護疲れでその障害者を殺したときに、減刑しないのが本当の平等」となる気がします。もちろんそれは、「介護者を殺人者にしてしまう世の中であること」そのものが社会の責任だから、ということです(介護は、本当に、本当に大変ですから)。
この本では、変な平等主義のせいで養護学校の中で行われている「変なこと」がたくさん書いてあります。私は「ディサビリティ・スポーツ」の変形ルールに違和感は感じないのですが、やはり「電動車いす同士の50m走(=どれも法定速度までしか出ない)」には「する意味があるのか」と突っ込みを入れたくなる。
そうしたことを踏まえて、「自分と他人を比較し、他人より勝っている部分を見つけ大いに優越感に浸」り、「自信」をつけること、という意味においての「差別」をしよう、と筆者は書きます。そうした心の動きは誰だって、どんな相手とでもするのが自然な心の動きなのであって、「差別はいけない」という「平等」絶対主義は、若者から自信を失わせ、また、社会の中の自分という相対的な把握能力を失わせていると書いています。
それは、分かる。
けれども、そういうのが「平等」でそういうのが「差別」なんだろうか?とも思います。
私の目には、筆者が批判している養護学校の先生のもの言い、「福祉関係者」のものいいが、それこそ「差別」に見えます。
本書の結びは「『差別』を無くすために、『差別』をしよう」です。つまり、書名そのものが敢えてする逆説となっています。本を全部読んだ14歳には、その意図は通じるかもしれない。けれども、「敢えてする」部分の手法について、私は馴染まないところがある。
多分、この方の発言について、私はずっとこういう「違和感を持っての支持」をしていくんだろうなと思います。
何といっても、上記養護学校のような障害にまつわる話は舞台のネタにしているそうなのですが、「……笑えない……」という話が多いです。というか、ほんとに介護の現場は深刻ですね……。
書誌情報;
ホーキング青山『差別をしよう!』河出書房新社、2009
2010年02月23日
冨田恭彦『柏木達彦のプラトン講義』
出張に行った先で本を買うのはともかく(ご当地本とかあるから)、行く前の東京で買うのははっきりバカだと思うんですが、地元の本屋に回ってくる確証がない本はつい買ってしまいます。
しかも少し読んじゃったりもしたので、もともと予定していた本はこれ一冊しか読み終わりませんでした。
さて、前作に続き、科学史・科学哲学の柏木先生と、その同僚や学生、中でも物理専攻の咲村紫苑さんのやりとりが秋の京都を背景に繰り広げられます。
今回のテーマは、事実と主観。タームでいうなら観察の理論負荷性と指示理論、観念論などが取り上げられています。
世界を「私見」以外では認識できない私達にとって、事実とは何か。
言葉(認識)から独立した、岩盤のような確かなる事実という考えを離れて、人間はその不確かさに耐えうるのか。
そして相対主義の虚無から逃れられるのか。
…ということも章末に挟みながら、お話が展開されていきます。この柏木先生の柔らかさが好きです。
アトランティスのお話、壮大で面白かったです。
しかも少し読んじゃったりもしたので、もともと予定していた本はこれ一冊しか読み終わりませんでした。
さて、前作に続き、科学史・科学哲学の柏木先生と、その同僚や学生、中でも物理専攻の咲村紫苑さんのやりとりが秋の京都を背景に繰り広げられます。
今回のテーマは、事実と主観。タームでいうなら観察の理論負荷性と指示理論、観念論などが取り上げられています。
世界を「私見」以外では認識できない私達にとって、事実とは何か。
言葉(認識)から独立した、岩盤のような確かなる事実という考えを離れて、人間はその不確かさに耐えうるのか。
そして相対主義の虚無から逃れられるのか。
…ということも章末に挟みながら、お話が展開されていきます。この柏木先生の柔らかさが好きです。
アトランティスのお話、壮大で面白かったです。
2010年02月22日
海堂尊『ブラックペアン1988』
出張なう。でございます。
この本は緑本と同時に買って、続けて読んだのですが、書く時間がとれないままでした。ひっそりと送信フォルダで編集を待ってた投稿用メールくんです。
下に、「政治と文学」というようなことを書きましたが、この本は、そこが一番うまくこなされているような気がしました。
Aiは「良い」が色本のテーゼだったのに対して、黒本の機械(高度医療の機械化、システム化)は結論の出ないテーマだからかもしれません。
文学は、もともと二律背反と相性がいい、そんな気もします。
田口先生(雛)のトラウマシーンが壮絶でした。
お医者さんって、みんなこれを乗り越えて仕事してくれてるんだなあとしみじみ。
この本は緑本と同時に買って、続けて読んだのですが、書く時間がとれないままでした。ひっそりと送信フォルダで編集を待ってた投稿用メールくんです。
下に、「政治と文学」というようなことを書きましたが、この本は、そこが一番うまくこなされているような気がしました。
Aiは「良い」が色本のテーゼだったのに対して、黒本の機械(高度医療の機械化、システム化)は結論の出ないテーマだからかもしれません。
文学は、もともと二律背反と相性がいい、そんな気もします。
田口先生(雛)のトラウマシーンが壮絶でした。
お医者さんって、みんなこれを乗り越えて仕事してくれてるんだなあとしみじみ。
2010年02月07日
海堂尊『イノセント・ゲリラの祝祭』
ちょっと話がずれるのですが(いつものこと。)。そして一度書いたかもしれないのですが(健忘もデフォ。)
何かの雑誌で三谷幸喜さんが対談していて、「笑いの大学」について書いてあったことが印象的でした。あれは戦前の検閲制度を題材にとり、まじめすぎる検閲官がコメディについて戯作者とやりとりする中でいつか至高の笑いを追求していくという舞台(映画)でした。その中で浮かび上がってくるのは、「笑い」を取り締まろうという時代の空気や「表現」を監視しようという検閲制度に対する痛烈な批判です。なのですが、「そうしたことを表現するために映画を作った」と言われるのが三谷さんは心外なのだそうです。政治的発言なら政治的にする。自分はあくまで映画を撮りたいのだ、と。
実はおなじようなことを、よしながふみさんも書いてました。彼女の『大奥』はジェンダー概念に対する大いなる挑戦ですが、それがプライマリにあるのではない、漫画は手段じゃない、あくまで漫画を書きたい、が先にあるのだと。
…ということを、海堂さんの本を読むと思い出してしまいます。
私は三谷さん的な感性に共鳴する方です。「政治と文学」というのはプロレタリア文学以来論争が繰り広げられたテーマで、生活をめぐるあらゆる意志決定が広義の政治であることを考えれば、プロパガンダというのはそうであるというだけで若干のマイナスを持つような気持ちがあります。しかし、海堂作品を読むたびに、手段として出発した創作がここまでのレベルに至ることもあるのだなあと、しみじみ感心します。
死後診断としてAiを導入すべきだという首尾一貫した主張、そのベースとなる日本の医療を立て直さなければならないという危機感、それらがお話の展開にあわせてすんなりと受け入れられます。
今回は特に「前『異常死死因究明制度の確立を目指す議員連盟』事務局次長」の方が開設を書いているので余計に上記のようなことを考えたのですが、ことこの状態にあって、海堂作品に影響を受けてそうした政治的動きがあったことを批判する気は毛頭ない、むしろほんとよかったと思います。政権交代の結果この議員連盟の提案等は宙に浮いた形となっているそうですが、政治の場面でAiが取り上げられたことの意味は大きいでしょう。
黄・赤・緑ときて、一番これが「物語度<主張」でしたが、彦根先生の厚労省乗り込みシーンは息詰まる展開であっというまに読んでしまいました。決めぜりふがいちいちかっこいいですのう。
書誌情報;
海堂尊『イノセント・ゲリラの祝祭』宝島社文庫、2010書影
何かの雑誌で三谷幸喜さんが対談していて、「笑いの大学」について書いてあったことが印象的でした。あれは戦前の検閲制度を題材にとり、まじめすぎる検閲官がコメディについて戯作者とやりとりする中でいつか至高の笑いを追求していくという舞台(映画)でした。その中で浮かび上がってくるのは、「笑い」を取り締まろうという時代の空気や「表現」を監視しようという検閲制度に対する痛烈な批判です。なのですが、「そうしたことを表現するために映画を作った」と言われるのが三谷さんは心外なのだそうです。政治的発言なら政治的にする。自分はあくまで映画を撮りたいのだ、と。
実はおなじようなことを、よしながふみさんも書いてました。彼女の『大奥』はジェンダー概念に対する大いなる挑戦ですが、それがプライマリにあるのではない、漫画は手段じゃない、あくまで漫画を書きたい、が先にあるのだと。
…ということを、海堂さんの本を読むと思い出してしまいます。
私は三谷さん的な感性に共鳴する方です。「政治と文学」というのはプロレタリア文学以来論争が繰り広げられたテーマで、生活をめぐるあらゆる意志決定が広義の政治であることを考えれば、プロパガンダというのはそうであるというだけで若干のマイナスを持つような気持ちがあります。しかし、海堂作品を読むたびに、手段として出発した創作がここまでのレベルに至ることもあるのだなあと、しみじみ感心します。
死後診断としてAiを導入すべきだという首尾一貫した主張、そのベースとなる日本の医療を立て直さなければならないという危機感、それらがお話の展開にあわせてすんなりと受け入れられます。
今回は特に「前『異常死死因究明制度の確立を目指す議員連盟』事務局次長」の方が開設を書いているので余計に上記のようなことを考えたのですが、ことこの状態にあって、海堂作品に影響を受けてそうした政治的動きがあったことを批判する気は毛頭ない、むしろほんとよかったと思います。政権交代の結果この議員連盟の提案等は宙に浮いた形となっているそうですが、政治の場面でAiが取り上げられたことの意味は大きいでしょう。
黄・赤・緑ときて、一番これが「物語度<主張」でしたが、彦根先生の厚労省乗り込みシーンは息詰まる展開であっというまに読んでしまいました。決めぜりふがいちいちかっこいいですのう。
書誌情報;
海堂尊『イノセント・ゲリラの祝祭』宝島社文庫、2010書影
2010年02月06日
小池 滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか 』
たまたま懐かしい本(『有栖川有栖の鉄道ミステリ・ライブラリー』を手に取る機会がありまして、その中に収録されている本書の一遍を読み、やっぱりほかのも読みたい!と購入しました。それこそ↑の本が発売された時にも読みたい!と思ってあまぞんさんで検索かけたものでしたが、そのときは単行本しか出ていなかったのです。祝文庫化。
「ある作品を読んで面白かったと満足すると、その作品を目を皿のようにして読み返し、作者が書いてくれなかったこと、ちらとだけ書いてやめてしまったことなどをほじくり返して、もう一度別の、あるいは裏の物語をでっち上げたくなる」のが癖という英文学の先生が、しかしその専門知識というよりは余技というべき鉄道への知見をいかして作品の書かれなかった部分を読み解いた、実にスリリングなエッセイです。
文学研究とはいえないのかもしれませんが、十分に説得力のある推理が展開していって、たとえていうなら赤外線めがねを装着した感じ。推理部分は脇に置いても、当時の鉄道事情の説明は作品読解にも大きな助けとなります。
実に面白い本でした。
書誌情報;
小池 滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか 』新潮文庫、2008書影
「ある作品を読んで面白かったと満足すると、その作品を目を皿のようにして読み返し、作者が書いてくれなかったこと、ちらとだけ書いてやめてしまったことなどをほじくり返して、もう一度別の、あるいは裏の物語をでっち上げたくなる」のが癖という英文学の先生が、しかしその専門知識というよりは余技というべき鉄道への知見をいかして作品の書かれなかった部分を読み解いた、実にスリリングなエッセイです。
文学研究とはいえないのかもしれませんが、十分に説得力のある推理が展開していって、たとえていうなら赤外線めがねを装着した感じ。推理部分は脇に置いても、当時の鉄道事情の説明は作品読解にも大きな助けとなります。
実に面白い本でした。
書誌情報;
小池 滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか 』新潮文庫、2008書影
2010年02月05日
もぐら『うちのトコでは』
実は県民ネタテレビ番組は嫌いです。
あんな人工的なラインでくくれるか、と思う。前書いたかどうか、東京書籍中一教科書の「方言と共通語」題材として各地の方言が日本地図とともに載っているんですが、これが都道府県別になっていて、あほかと思います。あほでなければ(ないんでしょうけど、つまり自覚的にやってるんでしょうけど、だとしたら)政治的すぎて気持ち悪い。
なんですけど、こちらのサイトさんはものすごい好きで、開設の時から(ぶっちゃけるとその前から)延々ストークしてます。だって、「ネタですからね」というスタンスですし。
もともとは身辺雑事を、登場人物を「擬獣化」して漫画にするサイトさんで、その一コーナーとして、都道府県を擬人化したところが本になった、という形。
そして元々コーナーは「四国四兄弟」だったのに編集さんの指示で47平等になるよう(登場回数帯グラフが作られて/笑)書き足されたという。好きな話(京都さんの扇子とか「それができねえならちゃんと生きろ!」」by福島さんとか)が入ってて嬉しかったんですが、私としては猫耳香川を見たかったです。おたく上等。
そして、巻末の本四連絡橋物語ももちろんリアルタイムで更新をおいかけていたのですが、「うちらが死ぬのは/ヒトに捨てられたときだけ。」(by淡路)の辺りからもう毎朝(←毎朝更新されてる)泣きっぱなしでした。うう、がんばろうこうべ…。
収録されていないお話もたくさんあるので続刊を期待。そして、「関ヶ原から幕末へ」シリーズの次は満を持して佐賀さんの登場なんだと思ってますが、ここだけは「幕末へ」で終わらず明治六年政変までやってほしいな!
書誌情報;
もぐら『うちのトコでは』飛鳥新社、2010書影
あんな人工的なラインでくくれるか、と思う。前書いたかどうか、東京書籍中一教科書の「方言と共通語」題材として各地の方言が日本地図とともに載っているんですが、これが都道府県別になっていて、あほかと思います。あほでなければ(ないんでしょうけど、つまり自覚的にやってるんでしょうけど、だとしたら)政治的すぎて気持ち悪い。
なんですけど、こちらのサイトさんはものすごい好きで、開設の時から(ぶっちゃけるとその前から)延々ストークしてます。だって、「ネタですからね」というスタンスですし。
もともとは身辺雑事を、登場人物を「擬獣化」して漫画にするサイトさんで、その一コーナーとして、都道府県を擬人化したところが本になった、という形。
そして元々コーナーは「四国四兄弟」だったのに編集さんの指示で47平等になるよう(登場回数帯グラフが作られて/笑)書き足されたという。好きな話(京都さんの扇子とか「それができねえならちゃんと生きろ!」」by福島さんとか)が入ってて嬉しかったんですが、私としては猫耳香川を見たかったです。おたく上等。
そして、巻末の本四連絡橋物語ももちろんリアルタイムで更新をおいかけていたのですが、「うちらが死ぬのは/ヒトに捨てられたときだけ。」(by淡路)の辺りからもう毎朝(←毎朝更新されてる)泣きっぱなしでした。うう、がんばろうこうべ…。
収録されていないお話もたくさんあるので続刊を期待。そして、「関ヶ原から幕末へ」シリーズの次は満を持して佐賀さんの登場なんだと思ってますが、ここだけは「幕末へ」で終わらず明治六年政変までやってほしいな!
書誌情報;
もぐら『うちのトコでは』飛鳥新社、2010書影
2010年02月04日
ダ・ヴィンチ編集部編『文豪さんへ』
近代文学トリビュートアンソロジー、です。
あまぞんさんからお知らせもらって、わーいとばかりに近所の本屋に行ったんですが、「MF文庫」の棚がない。店員さんに聞けば分かったのかもしれないのですが、3つの本屋で挫折して、素直にあまぞんさんに配達してもらいました。
北村薫、田口ランディ、貫井徳郎…と錚々たる書き手6人が、漱石の『門』、中島敦の『山月記』など有名な近代文学をモチーフに短編を書くという企画です(小説+あとがき+インタビュー+トリビュート先作品、という構成)。近代文学も現代小説も好きな私にはうはうはでした、ダ・ヴィンチありがとう!
もちろんそれぞれに小説もうまく、本歌取りも自然で、かつ、「トリビュート」との言葉にふさわしい先達への尊敬が見えてとてもすてきな本でしたが、中でも「うまい!」と心の中で叫んだのが宮部みゆきさん×「手袋を買いに」。そこで持ってくるか!とうなりました。
一方、宮部さんが後書きで書いている「読者の数だけ、子狐の手袋の色はとりどりに違っていることでしょう」というのには「どうかな」と思いました。この名作童話は黒井健との幸せな出会いをしているので、あの絵で覚えている人がほとんどなんじゃないでしょうか(東京書籍の教科書も黒井健さんの絵です)。
ついでに、「え?」と思った話。吉田修一さんが「躁鬱でいうと、芥川の時代は鬱。(略)いまは躁だと思うんですよ」とあって、私見と逆だったので「え」と思いました。芥川はほぼ大正の作家、と思っているので、「躁の時代」にあったからこそ鬱で孤独だったんじゃないかな。でも、これは、どんな現象を躁ととらえ鬱ととらえるかの違いだとも思います。
もう一つ、「セメント樽の中の手紙」に「ご存じの方はあまり多くないだろう」とあって「えええええ」でした。一読忘れがたい話だと思いますけど、読まない、かなあ。
書誌情報;
ダ・ヴィンチ編集部編『文豪さんへ』MF文庫、2009
北村薫×夏目漱石
田口ランディ×中島敦
貫井徳郎×葉山嘉樹
夢枕獏×坂口安吾
宮部みゆき×新美南吉
吉田修一×芥川龍之介書影
あまぞんさんからお知らせもらって、わーいとばかりに近所の本屋に行ったんですが、「MF文庫」の棚がない。店員さんに聞けば分かったのかもしれないのですが、3つの本屋で挫折して、素直にあまぞんさんに配達してもらいました。
北村薫、田口ランディ、貫井徳郎…と錚々たる書き手6人が、漱石の『門』、中島敦の『山月記』など有名な近代文学をモチーフに短編を書くという企画です(小説+あとがき+インタビュー+トリビュート先作品、という構成)。近代文学も現代小説も好きな私にはうはうはでした、ダ・ヴィンチありがとう!
もちろんそれぞれに小説もうまく、本歌取りも自然で、かつ、「トリビュート」との言葉にふさわしい先達への尊敬が見えてとてもすてきな本でしたが、中でも「うまい!」と心の中で叫んだのが宮部みゆきさん×「手袋を買いに」。そこで持ってくるか!とうなりました。
一方、宮部さんが後書きで書いている「読者の数だけ、子狐の手袋の色はとりどりに違っていることでしょう」というのには「どうかな」と思いました。この名作童話は黒井健との幸せな出会いをしているので、あの絵で覚えている人がほとんどなんじゃないでしょうか(東京書籍の教科書も黒井健さんの絵です)。
ついでに、「え?」と思った話。吉田修一さんが「躁鬱でいうと、芥川の時代は鬱。(略)いまは躁だと思うんですよ」とあって、私見と逆だったので「え」と思いました。芥川はほぼ大正の作家、と思っているので、「躁の時代」にあったからこそ鬱で孤独だったんじゃないかな。でも、これは、どんな現象を躁ととらえ鬱ととらえるかの違いだとも思います。
もう一つ、「セメント樽の中の手紙」に「ご存じの方はあまり多くないだろう」とあって「えええええ」でした。一読忘れがたい話だと思いますけど、読まない、かなあ。
書誌情報;
ダ・ヴィンチ編集部編『文豪さんへ』MF文庫、2009
北村薫×夏目漱石
田口ランディ×中島敦
貫井徳郎×葉山嘉樹
夢枕獏×坂口安吾
宮部みゆき×新美南吉
吉田修一×芥川龍之介書影
2010年01月26日
今野敏『隠蔽捜査』
こちらも昨日のと同じく、短評を読んで注文した本です。もともと有名な本ですよね。こちらの続編も各賞受賞しています。
なのですが、出勤(というか現場に行く)途中に読み始めて途中で本を閉じてしまいました。朝の満員電車の中で立って読むには、主人公の設定がきつすぎる、という理由で。最初の10、20頁では、明らかに「やなやつ」という印象を抱かせるように書かれています。でも、ここまであからさまである以上、しかもここまで冒頭に書いてある以上、この後は、その先入観を跳躍代にした展開になるだろうと信じて帰りの電車でまた開きました。…ああもう、着いちゃう!まだ読み終わってない!着いちゃう!と心中わめく羽目になりました。
短評に、ミステリとしては落としどころが早くに見えすぎるとありましたが、うん、そうなのですが、それ以外の落としどころはありえない。「それ以外はあり得ないけど、それ自体ものすごく難しい落としどころ」にどう進んでいくか、の方が読みどころだろうと思います。
今野敏『隠蔽捜査』新潮文庫、2008書影
なのですが、出勤(というか現場に行く)途中に読み始めて途中で本を閉じてしまいました。朝の満員電車の中で立って読むには、主人公の設定がきつすぎる、という理由で。最初の10、20頁では、明らかに「やなやつ」という印象を抱かせるように書かれています。でも、ここまであからさまである以上、しかもここまで冒頭に書いてある以上、この後は、その先入観を跳躍代にした展開になるだろうと信じて帰りの電車でまた開きました。…ああもう、着いちゃう!まだ読み終わってない!着いちゃう!と心中わめく羽目になりました。
短評に、ミステリとしては落としどころが早くに見えすぎるとありましたが、うん、そうなのですが、それ以外の落としどころはありえない。「それ以外はあり得ないけど、それ自体ものすごく難しい落としどころ」にどう進んでいくか、の方が読みどころだろうと思います。
今野敏『隠蔽捜査』新潮文庫、2008書影
2010年01月25日
戸松淳矩『剣と薔薇の夏』
2005年の推理作家協会賞受賞作、です。
昨年末に読んだ有栖川有栖『本格ミステリの王国』(←作家生活20周年記念本でした。おめでとうございます!)の中に、各賞短評をまとめた箇所があり、そこに書いてあった数冊をまとめて注文しました。読めたのは数冊ですが。ははは。
解説に詳しく書いてありますが、ジュブナイルの作品があっただけの筆者に、新本格ブームの立役者の一人、戸川安宣氏が働きかけ、働きかけ続けて15年という大作です。
割とミステリの王道ともいえる見立て殺人の「謎!」が早くから提示されてもいるのですが、時間をかけた分綿密に書き込まれた大作です。舞台は1860年のニューヨーク。通商条約批准書の交換のために派遣された日本使節団の訪問受けてのお祭り騒ぎと、南北戦争前夜の人種問題についてはその場にいたかのような詳しい記述があります。
歴史を舞台にした小説は往々にして「らしさ」を出すためだけにミステリに関わらないという意味では無駄な記述が続くものですが、この作品は描かれていた様々な意匠や人間関係、階級対立、宗教観、そして元漂流民として登場してくる日本人の目を通した対米観などが全部謎解きに流れ込んでいくという壮大な仕掛けが成功しています。
久しぶりに、残りのページ数を見ながら「ああ、もう少しでこの幸福な読書の時間が終わってしまう…」と思う、という経験をしました。
戸松淳矩『剣と薔薇の夏』創元推理文庫、2005書影
昨年末に読んだ有栖川有栖『本格ミステリの王国』(←作家生活20周年記念本でした。おめでとうございます!)の中に、各賞短評をまとめた箇所があり、そこに書いてあった数冊をまとめて注文しました。読めたのは数冊ですが。ははは。
解説に詳しく書いてありますが、ジュブナイルの作品があっただけの筆者に、新本格ブームの立役者の一人、戸川安宣氏が働きかけ、働きかけ続けて15年という大作です。
割とミステリの王道ともいえる見立て殺人の「謎!」が早くから提示されてもいるのですが、時間をかけた分綿密に書き込まれた大作です。舞台は1860年のニューヨーク。通商条約批准書の交換のために派遣された日本使節団の訪問受けてのお祭り騒ぎと、南北戦争前夜の人種問題についてはその場にいたかのような詳しい記述があります。
歴史を舞台にした小説は往々にして「らしさ」を出すためだけにミステリに関わらないという意味では無駄な記述が続くものですが、この作品は描かれていた様々な意匠や人間関係、階級対立、宗教観、そして元漂流民として登場してくる日本人の目を通した対米観などが全部謎解きに流れ込んでいくという壮大な仕掛けが成功しています。
久しぶりに、残りのページ数を見ながら「ああ、もう少しでこの幸福な読書の時間が終わってしまう…」と思う、という経験をしました。
戸松淳矩『剣と薔薇の夏』創元推理文庫、2005書影
2010年01月24日
西澤保彦『ソフトタッチ・オペレーション』
チョーモンイン(超能力者問題秘密対策委員会)シリーズです。
最新刊!と帯にかかれていて、最初の数ページをぱらぱら見てみたところ全然覚えがなかったので、でもどうかな私がチョーモンインのノベルズ新刊を見逃すかなと思いつつ購入。そしてやっぱり読んでました。マイさんのキャラクターはばっちり覚えてましたよ…。
西澤さんはこれでもかこれでもかと人間の中の醜い本性(特に母子関係)を描き出す人なので、自然主義文学のようにも思えます。けれども、そういうどろどろした部分を動機や話の展開に持ち込みつつ、解決は原則的に論理一本で解かれていくところでバランスを保ち、人間の「どうしようもなさ」と「どうにかしようがある可能性」を両方を描こうとしているのかなあと思います。
今回その意味で興味深かったのが、解説にもありますが、中編「ソフトタッチ・オペレーション」の主人公が抱えるフェティシズムです。「お、お前そこに気をとられている場合じゃないだろ!」という事態に陥っているのに、それより本能を優先するがためにかえって事態を冷静に判断していくポイントになるあたりが、話の構造としておもしろい!と思いました。
西澤保彦『ソフトタッチ・オペレーション』講談社文庫、2010書影
最新刊!と帯にかかれていて、最初の数ページをぱらぱら見てみたところ全然覚えがなかったので、でもどうかな私がチョーモンインのノベルズ新刊を見逃すかなと思いつつ購入。そしてやっぱり読んでました。マイさんのキャラクターはばっちり覚えてましたよ…。
西澤さんはこれでもかこれでもかと人間の中の醜い本性(特に母子関係)を描き出す人なので、自然主義文学のようにも思えます。けれども、そういうどろどろした部分を動機や話の展開に持ち込みつつ、解決は原則的に論理一本で解かれていくところでバランスを保ち、人間の「どうしようもなさ」と「どうにかしようがある可能性」を両方を描こうとしているのかなあと思います。
今回その意味で興味深かったのが、解説にもありますが、中編「ソフトタッチ・オペレーション」の主人公が抱えるフェティシズムです。「お、お前そこに気をとられている場合じゃないだろ!」という事態に陥っているのに、それより本能を優先するがためにかえって事態を冷静に判断していくポイントになるあたりが、話の構造としておもしろい!と思いました。
西澤保彦『ソフトタッチ・オペレーション』講談社文庫、2010書影
2010年01月19日
加藤登紀子『登紀子1968を語る』
じょ、情況出版が新書を出したんですね…!今やほとんどのレーベルが文庫新書を持っているとはいえ、ちょっとびっくりしました。が、がんばれ…!
四幕構成の最終章が「上野千鶴子との対談」となってます。私は、その上野さんの意見の方が近い。つまり、「68年をあたかもそれに続く時代がなかったかのように、そこだけ切り取って回顧することはできない」。リブは全共闘の鬼子(C)田中美津)と言いますが、女性たちに異議を叫ばせるほどの絶望を与えた全共闘というのは、やはり2010年地点から振り返っても、単純な希望ではない、それは、そう思います。あわせて、やっぱりこう、どっかに不満があるんですね、それは矛先が違うと理屈ではわかっていても、70年頃のムーブメントが80年代の管理教育を招いたという気持ちがある。私は田舎生まれの年寄りなのでヤンキーが一定の尊敬を受けた空気を知っているんですが(笑)、あの教育現場ではすでに、反抗というのは「する/しない」ではなく「できる/できない」になっていた。「できる」人は、要するにアウトコースを引き受ける覚悟を持った人で、だから自分にはできないこととして一種畏敬の目で見られたんだろうと思います(今みたいに大学行ってもコースなんてない時代とはわけがちがう)。
あの世代は好き勝手暴れて(しかも運動の後はしれっと出世して)、そのせいで俺たちは…というのは、直下の「シラケ世代」と呼ばれた人たちの方がより感じていたことかもしれませんが、私も若干そういう気持ちから自由ではない。運動した側のせいではないとはいえ、運動の経験を踏まえての教育行政だったことは間違いないわけで。
とはいえ、衣食足りると礼節を知ってしまうわけで、ジャンクフードで太らされた身としては贅肉を持たなかった70年前後の彼らの力に圧倒されたりもするわけです。
加藤さんの、「レボリューションとは回転すること」、68年から回転してきた時間があり、今また未来に向けて回転していく、という言葉は、68年に続く時代を折れずに過ごしてきた加藤さんの
強さ・しなやかさを感じさせるものだなとも思いました。
章の多くは若い(大学生)の聞き手に加藤さんが答える形で68年前後を回顧しています。そういう構成で親書がでたもの新しい時間軸の回転だなあと思いました。
加藤登紀子『登紀子1968を語る』情況新書、2009書影
四幕構成の最終章が「上野千鶴子との対談」となってます。私は、その上野さんの意見の方が近い。つまり、「68年をあたかもそれに続く時代がなかったかのように、そこだけ切り取って回顧することはできない」。リブは全共闘の鬼子(C)田中美津)と言いますが、女性たちに異議を叫ばせるほどの絶望を与えた全共闘というのは、やはり2010年地点から振り返っても、単純な希望ではない、それは、そう思います。あわせて、やっぱりこう、どっかに不満があるんですね、それは矛先が違うと理屈ではわかっていても、70年頃のムーブメントが80年代の管理教育を招いたという気持ちがある。私は田舎生まれの年寄りなのでヤンキーが一定の尊敬を受けた空気を知っているんですが(笑)、あの教育現場ではすでに、反抗というのは「する/しない」ではなく「できる/できない」になっていた。「できる」人は、要するにアウトコースを引き受ける覚悟を持った人で、だから自分にはできないこととして一種畏敬の目で見られたんだろうと思います(今みたいに大学行ってもコースなんてない時代とはわけがちがう)。
あの世代は好き勝手暴れて(しかも運動の後はしれっと出世して)、そのせいで俺たちは…というのは、直下の「シラケ世代」と呼ばれた人たちの方がより感じていたことかもしれませんが、私も若干そういう気持ちから自由ではない。運動した側のせいではないとはいえ、運動の経験を踏まえての教育行政だったことは間違いないわけで。
とはいえ、衣食足りると礼節を知ってしまうわけで、ジャンクフードで太らされた身としては贅肉を持たなかった70年前後の彼らの力に圧倒されたりもするわけです。
加藤さんの、「レボリューションとは回転すること」、68年から回転してきた時間があり、今また未来に向けて回転していく、という言葉は、68年に続く時代を折れずに過ごしてきた加藤さんの
強さ・しなやかさを感じさせるものだなとも思いました。
章の多くは若い(大学生)の聞き手に加藤さんが答える形で68年前後を回顧しています。そういう構成で親書がでたもの新しい時間軸の回転だなあと思いました。
加藤登紀子『登紀子1968を語る』情況新書、2009書影
2010年01月18日
坂木司『ワーキング・ホリデー』
歯医者さん、クリーニング屋さん、宅配業者さんと、坂木さんはお仕事系のお話、多いですね。私の頭の中では「引きこもりシリーズの人」だっただけに興味深いです。
出世作であり代表作でもある引きこもりのシリーズは、やっぱり魅力も感じるし話に引き込まれもするんですが、どこかでもう一人の自分が襟首をつかんでいる感じでした。主人公と語り手の共依存の問題と、それから、「一般的な意味では無礼だけどそういうレベルではないところで人を尊敬することを知っている」という設定になっている(と思われる)主人公の言動が、時々「うーむー」となってしまうあたりで。私もそこそこ世間体には縛られておりますもので。
今回はまた別シリーズですが、坂木さん作品は、未熟でも割と常識人でかつ根がまっとうな人がずっと主人公をはっているので、安心して読めました。
このシリーズは、なんというか、漫画やライトノベルの世界ではもう定番ともいえる「若い大人+しっかりした子供」話で、これまた王道である「元ヤンキーだけど(おじいちゃんっ子なので)古くさい倫理観を背骨に持ってる」主人公なので、ほんといっそ安心して読めるというか……ごにょ。<推理><小説>の後者に寄った作品。と言おうとして読み返して気づいたんですが、これ、ジャンルとして推理小説じゃないですね。「なんだろう?」と「そうか!」が存在はしますが、ミステリを期待して読むとあれれ、となるかもしれません。逆に言うと、私は「坂木さん→ミステリ」と思って購入したのに、あれ?とも思わず楽しく読めました、というおすすめができます。
坂木司『ワーキング・ホリデー』文春文庫、2010書影
出世作であり代表作でもある引きこもりのシリーズは、やっぱり魅力も感じるし話に引き込まれもするんですが、どこかでもう一人の自分が襟首をつかんでいる感じでした。主人公と語り手の共依存の問題と、それから、「一般的な意味では無礼だけどそういうレベルではないところで人を尊敬することを知っている」という設定になっている(と思われる)主人公の言動が、時々「うーむー」となってしまうあたりで。私もそこそこ世間体には縛られておりますもので。
今回はまた別シリーズですが、坂木さん作品は、未熟でも割と常識人でかつ根がまっとうな人がずっと主人公をはっているので、安心して読めました。
このシリーズは、なんというか、漫画やライトノベルの世界ではもう定番ともいえる「若い大人+しっかりした子供」話で、これまた王道である「元ヤンキーだけど(おじいちゃんっ子なので)古くさい倫理観を背骨に持ってる」主人公なので、ほんといっそ安心して読めるというか……ごにょ。<推理><小説>の後者に寄った作品。と言おうとして読み返して気づいたんですが、これ、ジャンルとして推理小説じゃないですね。「なんだろう?」と「そうか!」が存在はしますが、ミステリを期待して読むとあれれ、となるかもしれません。逆に言うと、私は「坂木さん→ミステリ」と思って購入したのに、あれ?とも思わず楽しく読めました、というおすすめができます。
坂木司『ワーキング・ホリデー』文春文庫、2010書影